「巻貝たちの歓喜」が影響を受けた作品 Vol.7 小説「タイタンの妖女」

「巻貝たちの歓喜」が影響を受けた作品 Vol.7 小説「タイタンの妖女」

Kurt Vonnegut 1972.jpg

著者:Kurt Vonnegut Jr.
WNET-TV/ PBS / Public domain

小説「タイタンの妖女」(1959 アメリカ、カート・ヴォネガットJr.)

ヴォネガットは熱いマニアが多く、私のようなちょっとかじった程度の奴がなんか書くと一斉に叩かれそうでこわいのですが。

しかしながらこの本でヴォネガットが示した時間の概念は非常に興味深いを超えて感銘を受け、来栖と晴海の愛の物語をどこに着地させようか迷っていたころに読んだのですが、この映画の解のように感じたのでした。

巻末に爆笑問題の太田光が書いている解説がわかりやすい説明に思います。
「過去と現在と未来が全て同時に存在していて、それが永遠に繰り返される」

タイタンの妖女のあらすじを書くのは難しいけど頑張ってみます。

タイタンの妖女あらすじ
ウィンストン・ナイルズ・ラムファードという大金持ちがいて、彼には絶世の美女の妻ビアトリスがいます。
ある時ラムファードは時間等曲線漏斗というものの中に愛犬と乗った宇宙船で突っ込んでしまい、その影響で時間をさまよい、未来のことをなんでも予言できて、現世にはたまにしか現れない人になります。
そのラムファードが、マラカイ・コンスタントというぐうたらでろくでなしの金持ちの未来を予言します。
君はまず火星に行き、火星に行く途中で私の妻を犯し、その後水星に行き、地球に戻り、木星の衛星タイタンに行くだろう。

それからマラカイの生活はまさに予言された通りに進んで行きます。

ラムファードはタイタンで知り合ったトラルファマドール星のロボット年齢1100万歳のサロから教えてもらった知識で火星に地球侵略軍基地を作り、地球の人間を次々連れてきては記憶を奪って軍隊に入れます。マラカイも火星に行き、火星に向かう円盤の中でビアトリスを犯して子供を作り(その子はクロノという聡明な男の子に育ちます)、記憶を失う手術をされ、火星で親友を殺します。

それでいよいよ火星軍の地球侵略戦争が始まろうという時に、まだ自分がマラカイとは思っていないマラカイは、親友の遺言の手紙を読み(その親友が自分が殺した男だとは知らず)ビアトリスとクロノを連れて戦争から逃げ出そうとします。また、ここからあれやこれや色々あって、水星、地球、そしてタイタンへと冒険は続きますが…

一口ではあらすじ言えませんので、あとは実際に読んでいただいて…

ラスト近くラムファードは不思議な力を失い消滅するのですが、その時の言葉が

「単時点的(パンクチュアル)な意味において、さようなら」

で、私はこの台詞がとても好きです。

つまり時間が一方的に流れるだけの次元における、ある瞬間を「単時点」と表現し、その意味ではもう会えないかもしれない。けれど、複数時点的世界、過去も未来も現在も同時に存在する次元から見れば過去もまた今であり、「過去に会った事がある」は「これからまた会える」と同義になるのです。

「巻貝たちの歓喜」の来栖は10年前に妻を亡くし喪失感に苛まれている、と脚本の初期の項ではそのように性格設定してましたが、話を作っていくにつれ、来栖に村上春樹的な喪失キャラは似合わないのではないかと思うようになりました。
来栖はいつも晴海がすぐそばにいるかのように感じているのではないか。そして現に晴海はいなくなったのではなく、「愛」という無形なものとして来栖の存在するすべての時間に同時に存在していたとすることが、この映画に一番相応しいように感じました。そこから過去も未来も超越した愛へと来栖を昇華させていきたいと・・・

うーむ、あんまこの調子で書き進めるとなんかスピリチャルっぽい話と誤解されるかもしれないから、この辺にしときますが要はヴォネガットの「タイタンの妖女」は人の出会いや別れ、人生とかについて、私に新しい視点をくれた気がしました

ヴォネガットの本は面白いけど、映画に不向きなところもあり、映画化作品は少なく、映画化されても失敗作って感じです。「明日に向かって撃て」のジョージ・ロイ・ヒルがヴォネガットの「スローターハウス5」を映画化したのですが、つまんない映画でした。

タイタンの妖女もダサ面白いが許された「スターウォーズ」以前の時代のノリでなければ映画化できないでしょう。
きちんと映像化されるなら見てみたいけど、「ゼログラビティ」以後の映画でも宇宙は真空で無音で無重力でなくてはならない時代に突入してしまった今となっては作ってはいけない作品になった気がします。

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